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社長のブログ

  コンピュター事始め(追記26) 00000061 2015年06月18日 北村拓郎

 筆者は、50年間ほど、コンピュータの開発にかかわってきたが、筆者の見聞を中心に、その経緯について、ビジネスとの関わりを中心に、つぎのような、項目で語ってみたい。

 ・米国でのコンピュータの発祥
 ・日本でのコンピュータの発祥
 ・日本での商業生産の始まり
 ・米国でのIBMとBUNCH
 ・日本での通産省補助金プロジェクト
 ・技術提携・導入
 ・パラメトロン/エサキダイオードなど
 ・NTTのDIPS
 ・MITのMULTICSとUNIX
 ・通信とコンピュータの融合(C&C)
 ・CADとT&D
 ・半導体、磁気記憶装置とコンピュータ
 ・入出力機器とコンピュータ
 ・漢字入出力問題
 ・世界のコンピュター業界地図
 ・研究開発費の原資
 ・ミニコン・オフコン・パソコン
 ・スーパーコンピュータ
 ・OS/ファームウエァとコンピュータ
 ・アプリソフトとSE 
 ・学習するコンピュータ
 ・cloudシステム
 ・ビジネスモデルの変遷
 ・新興国での発展
 ・今後の展望

 平成27年6月

 北村 拓郎

 


  米国での発祥 00000061 2015年06月22日 北村拓郎

 筆者が、1958年に大学を卒業して、就職したときには、米国では、コンピュータは、研究開発段階から、すでに、商業ベースの段階であった。したがって、筆者は、1945年〜の開発現場のことは、直接的に知らない。日本に比べて、米国は、10年以上研究開発で、先行していたので、米国の事情は、文献その他で、勉強をした。とくに、1953年の雑誌IREのComputer Issuesには、当時のComputerの実機と技術が、幅広く紹介され、何回も熟読玩味をした。

 大学や研究所で、開発されたComputerと技術や、IBM701などが、紹介されていた。なお、この時代のコンピュータの発祥に、関連して、人間の脳について、人工頭脳という観点から、脳のモデルなどの萌芽的な研究が、行われていたのは、注目に値する。Computerは、従来にはない、人間の脳活動と密接に関係する機械であった。その研究開発は、いろいろな分野の科学者や技術者が、参加した。まだ、コンピュター専攻学科や電子工学科などがない時代で、電気/機械技術者、数学者、物理学者、生理学者などが、はせ参じた。

 平成27年6月

 北村 拓郎


  日本での発祥 00000061 2015年06月24日 北村拓郎

 日本のコンピュータの開発は、アメリカに較べて、10年ほど遅れて、開始された。アメリカの初期の研究開発は、真空管を主要な素子として、使用されたが、日本では、真空管のものは少なく、真空管の時代を通り越し、トランジスタを用いることになった。

 ETL-Mark4は、電気試験所で開発された日本で最初のトランジスタ型コンピュータである。アメリカで、真空管式のSEAC というコンピュターが、1950年に開発されていたが、ETL-Mark4は、これを範として、開発された。フリップフロップは、D型で、ダイオードロジックと組み合わされ、クロックが200キロヘルツのブロッキングオッシレータを用いている。この回路では、フリップフロップが、1個のアロイ型ゲルマニュームトランジスタで、構成できるのが特徴である。一方、磁気トランスを使うので、動作が、遅く(真空管式のクロックが、1マイクロセコンド程度に対し、5マクロセコンド)、物理的なサイズが大きくなるのが欠点である(真空管式より、小さく消費電力も少ないが)。しかし当時としては、高価なトランジスタを節約し、安定化した基本回路が求められ、この技術は、NECや、日立製作所に導入されて、広く普及した。
 1958年頃、日本のコンピュター技術を促進するために、通産省が主導して、電子工業振興組合が設立され、NEC、富士通、日立製作所、東芝、沖電気、三菱電機などが参加し、コンピュター6社といわれた。
 
 1958年に、電子工業振興組合は、加盟各社のコンピュータを一堂に集めて展示し、希望する人が、操作したり、使ってみることとができる施設を作り、コンピュータ使用の普及を図った。

  平成27年6月
 北村 拓郎


  日本での商業生産の始まり 00000061 2015年07月16日 北村拓郎

 1958年のコンピューター振興協会でのコンピュター各社によるデモ展示を契機に、日本での商用コンピュターの発売が開始された。当時は、IBMや、UNIVACの米国製のコンピュータが、事務計算や、科学計算に使われていたが、日本製のコンピューターが、初めて発売された。米国製のコンピュータは、すべて、真空管を使っていたが、日本製はトランジスター製で、小型高性能の新しい技術を使っていた。しばらくは、日本製のコンピューターは、小型で(今に比べて空調室に収められたかなりの大きさであったが真空管式に比べて)、価格が安く(1システム5〜10億円程度と高価であったが米国製に比べて)、かなりの台数が普及したが、その後、米国製も急速にトランジスター式に変わっていった。

 筆者は、学生の夏季工場実習生として、電気試験所で、ETL-Mark4の架台の配線作業を行い、合間にコンピュータの仕組みを教えていただいた。その後、大学を卒業して、たまたま、NECに就職したが、NECが、ETL-Mark4の技術を電気試験所から、導入し、NEAC-2201というコンピュータを開発中であり、筆者も途中から開発に参加し、電気試験所のかたがたの指導を受けた。これをベースに、NEAC-2203を開発し、当時としては驚異的な30システム以上の販売となり、国産コンピュータの事業の端緒となったが、IBMをはじめとする米国勢との苦難の競争の歴史が始まった。


 コンピュターの開発には膨大な費用がかかり、日本のコンピュータ各社は採算に乗らず、長い間、米国の先行各社との苦しい競争を強いられた。

 平成27年7月

 北村 拓郎


  米国でのIBMとBUNCH 00000061 2015年07月19日 北村拓郎

 コンピュータの米国での隆盛は、汎用コンピュータ、あるいは、メインフレイムという領域で始まった。多くのコンピューターと会社が、乱立したが、IBMとBUNCHと呼ばれる会社に集約された。

 メインフレイムは、コンピューターが、産業として、確立した最初の領域である。激烈な競争の結果、IBMが、圧倒的な市場での占有率を獲得した。BUNCHとは、バロース、UNIVAC、NCR、ControlData、ハネウエルの各社である。IBMが、圧倒的に大きく、一人の巨人と、5人の小人たちといわれた。IBMが、ルールを決める、IBM互換機ビジネスが隆盛となった。

 時代が変わり、メインフレイムは、一世を風靡したが、時代が変わり、話題も少なくなり、いまでは、先細りのビジネスとなっている。




平成27年11月
 北村 拓郎


  日本での通産省補助金プロジェクト 00000061 2015年12月29日 北村拓郎

 1970年ごろ、多くの産業は欧米特に米国に比べて、日本の企業は競争力が、劣っており、国の支援が有効と考えられた。
 
 情報機器と関連の企業に対しても手厚い国の庇護が求められ、技術開発に補助金が、支給された。

 先のコンピューター6社に対する通産省の補助金もその一環であるが、前提として、日本には6社のメーカーがでは多すぎるので、3グループに集約することが考えられた。このとき、IBMに対抗する国産メーカーを育成することが意図された。
 
 このとき、NEC/東芝、富士通/日立、三菱/沖電気 のグループが、手厚い補助金が与えられた。たとえば、NEC/東芝の場合、合弁会社が設立され、汎用機のコンピュター事業は、NECに集約された。

 いろいろな紆余曲折を経て、日本の汎用機のコンピュータ事業は、NEC・富士通・日立の3社に集約され、世界的にもIBMに対抗するメーカーになった。そのきっかけは、このときの通産プロジェクトにあったといえる。その後、汎用機の比重は縮小し、パソコンや、サーバーや、アプリケーションソフトが、主な市場となっていく。しかし、技術的な成果は、各社で受け継がれ、たとえば、NECが一時は国内のパソコン市場を席巻し、東芝がノートパソコンで、いち早く、世界に雄飛したのもこのときに、培われた技術力のおかげが大であると思われる。また、スーパーコンピューターと呼ばれる計算速度が競われる領域のコンピューターでは、日本メーカー(NEC、富士通、日立)が覇権を確立した。しかし、ビジネス的には、うまみが少ないので、いまひとつ、発展性に乏しい。

平成27年12月
 北村 拓郎


  技術提携・導入 00000061 2016年02月02日 北村拓郎

 国産のコンピュータが、販売されたものの、IBMは、世界的に見れば、圧倒的な市場シェアを背景に、大きな技術開発力を誇っていた。とくに、コンピューターには、必須のソフトウェア技術において、顕著であった。

 そこで、NEC/東芝連合では、IBMの競争相手であったハネウエルからの技術導入を選択した。富士通/日立連合では、技術導入を選択せず、ソフトウェアの開発負担の少ない互換機ビジネスを選択した。三菱/沖連合は、汎用機ビジネスからしだいに撤退した。

 当時、ハネウエルは、GEのコンピュータ部門を買収し、コンピュータ事業をを大々的に展開していたが、技術開発部門は、ボストン、フェニックス、パリ、ミラノに別れ、技術的な統一に苦しみ、ソフトウェアの互換性がとれていなかった。技術導入をした日本側でも6ビット/8ビット マシンの2本立てとなり、NECの大きな負担となった。

 富士通/日立連合では、ソフトウェアの開発の負担が軽くなったかに見えたが、著作権問題で紛糾し、国際問題に発展し悩まされた。国際的な仲裁機関が介入し、解決したようである。

 平成28年2月

 北村 拓郎

 

 


  パラメトロン・江崎ダイオード 00000061 2016年02月16日 北村拓郎

 パラメトロンと江崎ダイオードは、ともに日本人による独創的な発明で(後藤英一氏と江崎玲於奈氏)、いくつか優れた点を持っていて、パラメトロンでは、実用機も作られが、世界的に普及しなかった。しかし、日本のコンピュータ開発の黎明期に、多くの人材を育て、日本でのコンピュター技術の基礎作りに貢献した。普及はしなかったが、独創的なアイデアは、記憶されており、将来、姿を変えて、日の目を見るかもしれない。

 平成28年2月
 北村 拓郎




  NTTのDIPS 00000061 2016年02月26日 北村拓郎

 DIPSとは、Denndenn Infomation Processing Systemの略で、NTTが、自前のコンピュータシステムを開発し、自社システムに使用し、引いては、通産省とは別に国産コンピューターを育成しようとのことであったと思われる。

 DIPSの前に、NTTには、CAMACというProjectがあった。当時、NTTでは、大規模な電話料金調停業務の合理化が、課題となっており、そのための、専用システムとして、NECとの共同開発システムCAMACが、開発され、通信会社であったNTT社内に多くのコンピュータ技術者と、SE(システムエンジニア)を育てて、一定の成功を収めた。

 時代が変わり、専用機よりは、汎用機を目指して、NTT、NEC、富士通、日立4社の共同開発ProjectのDIPSが、計画された。DIPSは、通産省の補助金とは、違った意味でのIBMに対抗する国産コンピュータの開発と普及を意図していたが、一定の国産システムと、より多くの、SEの育成に貢献したものの、他の汎用機ビジネスとの境界があいまいになり消滅した。

 平成28年2月
 北村 拓郎
 


  MulticsとUnix 00000061 2016年03月02日 北村拓郎

 MulticsとUnixは、先端的な研究を進めていたMITの研究開発環境のなかで、育てられた。
 Multicsは、大規模なコンピュターシステムのTime Sharingシステムの実用化を目指すもので、MITとGEとの共同プロジェクトで、まず、MIT学内で、試行し、その後、GEが一般システムとして、販売することが想定されていた。
 Multicsは、大型機のGE600を改造して、GEから、6システムほど出荷されたが、事情が変わり、GEから一般向けに、販売されることはなかった。しかし、その後の大型機のTime Sharingシステムの普及のきっかけとなったMulticsの貢献は大きい。日本でも大学の計算センターなどでのTime Sharingシステムが、普及し、多くの学生や研究者を育成した。

 一方、Unixは、PDPの小型コンピュータなどを用いて、Multicsの端末システムとして、
始まった。Unixは、ソフトウェアシステムであり、Multicsのみならず、一般の小型システムに発展し、多くの派生バージョンが、現在も使用されている。

 MulticsとUnixは、現在のインターネットの礎石となるシステムであり、技術であったと思われる。このような経緯と形で、MulticsとUnixが現状のインターネット時代に発展することを当時の誰もが、予想しなかったであろう。

 平成28年3月
 北村 拓郎



  コンピュターと通信の融合 00000061 2016年03月02日 北村拓郎

 NECは、70年代に「通信とコンピュターの融合(C&C)」を理念として掲げ、社内外で推進活動を展開した。

 古くは、電報電信という形で、通信の1分野が存在したが、そこでは、電信タイプライターが、用いられていた。初期のコンピュターでは、コンピュータの入出力機械のひとつとして、電信タイプライターが用いられ、その延長として、通信端末として用いられた。
その後、通信とコンピューターは、別途の技術展開をとげたが、現在では、おおむね、「通信とコンピュターの融合(C&C)」は、あたりまえのことして、技術的にもビジネス的にも実現されている。
 コンピューターは、インターネットに接続されるのが、あたりまえであり、主力の通信事業の交換機は、分散したコンピューターに置き換えられている。

 平成28年3月
 北村 拓郎


  CADとT&D 00000061 2016年03月17日 北村拓郎

 CADとは、Oomputer Aided Desginの略であり、Computer を使って、コンピュターの設計をしようという活動である。
 コンピュターでは、多くの基本素子を使って論理設計が行われる。このとき、論理設計が正しいかどうか(意図通りの設計が行われているか)を論理シミュレーションという手法で確認される。また、設計者は、論理素子を適切に配置し、配線を適切に指示する必要がある。

 このためのコンピュターソフト(いまでいうアプリの一種)の体系がCADシステムであり、現在もシステムは改良され、運用されているはずである。当初は論理設計者が、片手間で行っていたソフト開発が、CADソフト開発&運用の専門家集団に委ねられた。

 T&Dとは、Test&Diagnosticの略である。コンピュターの開発と製造では、検査(コンピュターが正しく設計どおりに作られているか)と保守(故障個所を探索して修理)が、大きな作業を占めるようになっていった。これに対応して、故障個所の探索技術や、一部の故障個所を隔離して、運転継続する技術(Fault Torelant)が求められるようになった。このためにも多くの専門家集団が編成されていった。

 コンピュターの自動化を目指して、始まった設計自動化の活動は、コンピュターにとどまらず、通信機(交換機)や、半導体素子(マイクロコンピュータチップんど)の共通技術として発展している。

 平成28年3月
 北村 拓郎


  半導体、磁気記憶装置とコンピュータ 00000061 2016年03月21日 北村拓郎

 半導体(CPUチップや内部メモリなど)と磁気記憶装置(ディスクなど)は、コンピュータの中心部を構成し、コンピュターの高性能化の原動力であり、コンピュターの進歩、応用範囲の拡大とともに、需要の拡大、生産の大規模化、コスト性能比の増大で、コンピュータの技術、事業とともに歩んできました。いまも、まだこの趨勢が続いています。

 現在のパソコンが、30年前の大型機に匹敵する機能と性能を持っているのは、半導体技術と磁気記憶装置技術のお陰です。


 特筆すべきは、コンピュターとともに培われた、この技術とビジネスが、コンピュター分野に限らず、他の多く分野に適用されていることです。

 
平成28年3月

北村 拓郎


  入出力機器とコンピュータ 00000061 2016年03月22日 北村拓郎

 コンピュターと人間をつなぐものは入出力機器である。とくに、パソコンやタブレット
などでは、操作性のよい、場所もとらない入力機器が求められる。キーボードや画面入力や音声入力機器が必要となる。出力機器では、ドットプリンターやページプリンターなど、周辺ビジネス(消耗品)も含めた大きな市場となっている。今後も技術と市場の大きな変貌が予想される。

平成28年3月

北村 拓郎


  漢字入出力問題 00000061 2016年03月23日 北村拓郎

 コンピューターは、当初、欧米で発達し、アルファベット26文字を扱っていたが、用途が拡大するにつれ、日本や中国で、漢字をどう扱うかが問題となった。
 内部コードは、8bitから、16bitに拡張され漢字が、実用的に扱えることができるようになったが、表示(ディスプレイやプリンタなど)と入力が、大きな課題となった。
 表示は、機器のドット密度をあげることで解決された。
入力は、日本語ワープロで用いられた、仮名漢字変換手法が、普及して、現在に至っている。ワープロの流れを汲むIMEというフロントエンドプロセッサーがますます洗練されて活用されている。漢字の入出力問題が改善されたので、コンピュターが、欧米世界以外でも身近な道具となった日本のワープロ(いまでは専用機はなくなり、パソコンのアプリに吸収された)技術の功績は大きい。

 平成28年3月
 北村 拓郎


  世界のコンピュター業界地図 00000061 2016年03月27日 北村拓郎

 コンピュター業界の地域と歴史的な発達について、語ってみよう。
 初期のコンピュータは、非常に高価で、先端技術を使っていたので、第二次大戦後、主に米国で発達し、英国や独、仏でも小規模の業界が発達したが、軍事的な応用と研究との関連が深く、しだいに、軍事大国の米国の独壇場となっていった。

 次いで、コンピュータの応用範囲が広がり、MainFrameとミニコンの時代となり、IBMとDECが世界的な覇権を確立した。欧州の市場は、米国の多国籍企業の配下になり、ソ連でも、IBMマシンを模倣した機械が開発されたが、普及にいたらなかった。日本は、国策の後押しがあり、富士通、日立、NECが、MainFrameメーカーとして、残った。

 時代が変わり、パソコンやサーバーのネットワークと分散処理システムが中心になっていく。この中核は半導体チップとソフト(OSなどの中核ソフト)となり、引き続き米国の新興企業が先導する世界であるが、市場は多様化し、門戸は世界に広げられている。

 日本を除く、先進国の市場で、米国企業が、圧倒的な覇権を確立していく中で、日本のメーカーが、継続して、存立していったのは、欧米とは違う、漢字処理問題に対応したことが大きい。 

平成28年3月
北村 拓郎


  研究開発費の原資 00000061 2016年03月31日 北村拓郎

 ITやコンピューターの研究開発には、膨大な費用がかかります。これの原資はどこからくるのか(きたのか)について、考えて見ましょう。通常、原資は、ミックスされ、多くの機関が連携して活動しています。

 この原資を分類すると、公的な資金(税金)、(さらに、公的な資金は、軍事費と非軍事費にわけられるでしょう)、民間資金(企業の事業活動、大学などの非営利活動)、ボランティア(寄付なども含む)などでしょう。

 コンピューターが、生まれた初期の環境では、大学や公的な研究機関、とりわけ、軍関係の研究の資金が、原資でした。コンピューターの研究と発達は、事業としての見通しが立たないので、巨額な資金を民間で、負担することとはできませんでした。コンピューターの日本での発達が遅れたのは、先の戦争で敗戦で、非軍事化されたことも大きな原因のひとつでしょう。同時に、アメリカが、冷戦で、突出した軍事大国になったこととも大きな原因で、研究費が軍事費から、民間にも大量に流れました。

 コンピューターが、事業化された後は、IBMの寡占化(パンチカードの収益と軍事研究で優位に立ち研究資金をコンピューターの事業化に使う好循環)が進み、MainFrameコンピューターの覇者となりました。BUNCHもささやかな対抗をいたしましたが、結局は敗退しました。

 日本メーカーは、自助努力とともに、軍事費に代わる国やNTTの補助金を原資として、
IBMに対抗または、凌駕するコンピュターの開発に成功しましたが、MainFrameコンピューターの時代は終わり、Downsizeシステムの時代に移行しました。

 きっかけは、IBMのPCです。IBMは、PCを事業化するに際し、いままでの開発方針を根本から変更し、内部での部品やユニットの調達を外部からの調達に切り替えました。CPUチップは、インテルに、OSの作成はマイクロソフトなどです。このことにより、IBMの開発費の負担は少なくなり、IBMのベンダーは、自己責任で、開発費を負担し、IBMとともに、PCの普及に貢献し、それぞれの事業を確立し、世の中の事業モデルの先駆となりました。

 その後多くのベンチャー企業が、奉仕や、株式上場など多彩な資金調達で、大企業に成長しています。

平成28年4月

 北村 拓郎 




  ミニコン・オフコン・パソコン 00000061 2016年04月19日 北村拓郎

 ミニコン・オフコン・パソコンは、小型のコンピュターとして、それぞれの特徴があり重宝されましたが、いまでは、ミニコン・オフコンの後継機は、各種のサーバーとして、残っていますが、多くは、パソコンに統合されています。ユーザーの関心は、十分に性能の上がったハードウェアよりも互換性のあるソフトウェアの機能に、向いています。

平成28年4月

北村 拓郎 


  スーパーコンピュータ 00000061 2016年04月23日 北村拓郎

 コンピューターは、発祥以来、いつの時代も高速大容量の計算を競ってきた、とくに、科学技術計算の分野では、計算速度と大容量は、限界がない需要がある。MainFrameの初めの時代では、シーモア・クレイという天才的な設計技術者を擁したCDCの6000シリーズが、突出した存在でした。スーパーコンピュターは、この技術を引き継いでいます。

 しかし、科学技術計算の市場は、事務計算市場に比べて、市場が小さく、開発費が、大きな負担になり、この分野の会社経営が不安定でした。シーモア・クレイは、CDCを離れ、独立会社を設立し、業界に新技術を提供し続けたが、事業としての成功はなりませんでした。

 以来、スーパーコンピュターは、いろいろと発展変化いたしましたが、開発費倒れとなり、事業としてのうまみにかけています。しかし、時代の最先端のより早く、より大量の計算需要は、いつの時代も存在するので、新規開発のとどまるところは、ありません。

 平成28年4月
 北村 拓郎




  OS/ファームウエァとコンピュータ 00000061 2016年04月25日 北村拓郎

 狭義のコンピューターは、コンピューターのハードウェアを意味します。コンピューターの発祥のときには、OS/ファームウエァはなく、徐々に整備され、コンピューターといえば、OS/ファームウエァも含めて、コンピューターといわれることになりました。

 MainFrameでは、高性能のハードウェアに巨大なOSが、一体となって、メーカーから提供され、専門家でないと使いこなせない状態になりました。

 パソコンなどの小型機は、だれもが手軽に使えることを目指して、製品化されましたが、今では、昔のMainFrameのように巨大で複雑なシステムになっています。

平成28年4月

 北村 拓郎


  アプリソフトとSE 00000061 2016年04月26日 北村拓郎

 OSの配下には、多くのアプリソフトが、配置されます。

 データベースソフトなどは、ユーティリィティソフトと呼ばれ、普通はユーザーからみると、OSに組み込まれているように見えますが、APソフトとして、ユーザーが、別ソフトを組み込むことができます。パソコンなどでは、ブラウザ、メールソフトなども多くも選択肢から、使用するソフトを選ぶことが出来ます。もとは、これらのソフトはハードウェアベンダーから、ハードウェアと一体的に供給されていましたが、独占禁止法などの影響もあり、いまでは、ソフト業界の多くのベンダーから供給されます。

 ユーザーからすると、どのような選択をして、場合によっては、自前のソフトと組み合わせればよいのかが、複雑になり、SE(システムエンジニア)と呼ばれる専門家が誕生し、SEの専門会社や、SEの専門部署が、できてきました。初期には、規模が小さく、ハードウェア部門のおまけのような存在であった、SE部門が、いまでは、ハードウェア部門よりも、事業規模が大きくなっています。

平成28年4月

北村 拓郎


 


  学習するコンピュータ 00000061 2016年04月27日 北村拓郎

 人間の脳と、コンピューターは、いずれも情報処理機能をもっており、チューリングマシーンの一種であると考えられている。手間隙をいとわなければ、お互いに動作のシミュレーション行い、同等の機能を果たすこととが出来る。しかし、脳は大規模なニューロンネットワークからなり、コンピューターは、CPU回路からなっている。ニューロンネットワークは、学習機能となじみがよい、CPU回路は、学習機能となじみがよくない。しかし、最近のコンピューターの著しい性能向上とソフトウェアの工夫により、ある程度の学習機能を持つことが出来るようになった。

 ボードゲームの碁の達人に、コンピューターが、対等以上に戦えるようになったのも学習するコンピューターの出現による。同等手法をロボット技術と組み合わせて適用すれば、世の中の職業人の半分程度を代行できる可能性があるといわれている。

 自動車の運転代行、家事代行などなど、今後の進展が期待される。

平成28年4月

 北村 拓郎


  cloudシステム 00000061 2016年04月27日 北村拓郎

 cloudとは、雲のことです。インターネット空間に雲のごとく、システムが浮かんでおり、誰でもが、必要に応じて、アクセスできることをイメージしています。

 コンピュータの発祥まもなくから、端末とセンターに、どう機能配分をするのが、合理的かとの議論があり、時代とともにいろいろな考え方が、提案されてきました。

 通信技術の進歩、端末価格の低下、記憶装置の進歩、ソフト技術の変遷、セキュリティの確保など、いろいろな要素がからむなかで、Cloudシステムと関連ビジネスが、伸張する兆しを見せています。どの程度に普及するか今後の注目点の一つです。

 平成28年4月

 北村 拓郎



  ビジネスモデルの変遷 00000061 2016年04月29日 北村拓郎

 コンピュターが、MainFraimeビジネスとして、確立して以来、どのような変遷をたどったかを語ってみよう。最初は、MainFraimメーカとユーザだけの関係者の仕事がいろいろの組織に分化した、
 
・Mainframeビジネス

・オフコン/ミニコンビジネス

・パソコンビジネス

・ソフトパッケージビジネス

・周辺ビジネス

・SEビジネス

・コンサルタント

の順で述べる。

・MainFraimeビジネスは、IBMの圧倒的な支配の下に、発展を遂げた。

汎用機は、小型から、大型まで、ソフトの互換性のある多くのモデルを用意していた。
最初は、小型機を導入しても、ユーザーの処理量が多くなるにつれて、より価格の高いモデルへのUP-Gradeを、メーカー(IBMが主導)が誘導した。

Upgradeしやすいように、レンタルや、リースが整えられた(メーカ系あるいは、金融会社系)。

保守サービスは、別途契約となり、メーカーの大きな収益源となった。

 ユーザー側の組織体制は、電算室などの専門組織が、ベンダーと折衝対応した(エンドユーザーは、電算室を通して、ベンダーと接触した)。

 時代が変わり、MainFraimeビジネスは相対的に凋落した。


・オフコン/ミニコンビジネス

低価格で、小型のオフコン/ミニコンは、製造面、販売面、サポート面で、MainFraimeとは、異なり、需要の拡大に答えた。
製造面では、量産体制を整え、在庫を抱えて、即納を可能とした。販売面、サポート面では、代理店販売を拡大した。周辺装置やソフトパッケージは、本体ベンダーとは異なるベンダーのものも活用された。これらにより、コンピュターが、中小規模の組織や企業に広がった。電算管理部門を置かないで、担当者が本来業務と兼務した。

 オフコン(ワープロ)は事務系業務で、ミニコンは科学計算/制御系業務で、使用された。


オフコン/ミニコンは、パソコンの時代を準備し、ワープロとともにパソコンビジネスに吸収されていった。

・パソコンビジネス

 IBMがパソコンビジネスに参入する際に、従来のIBMとは大きくことなる方法を採用した。その結果、パソコン業界が大きく発展した。
 ハードもソフトも外部調達に大きく踏み切った。
ハードは、半導体チップの外部調達である。ここでは、Intelの86系CPUの独占状態を招いた。
ソフトOSは、MicrosftのWindows系の独占状態を招いた。
いまでは、IBMは、パソコン事業を中国のレノボに売却し、パソコン事業を撤退している。IntelもMicrosoftもアイフォンやサムソンなどのタブレットの激しい競争にさらされている。これらのもとは、30年ほど前のIBM PCのハードソフトの外部調達方針による。
短期間に開発されたIBM PCは、IBMのブランド力、販売力で急激に普及し、業界標準になった。日本では、IBM PCがNECや東芝によって、日本語化され、普及した。

パソコンと関連ビジネスは、コモディテイ化され、ネットや店頭で、日常的に販売されている。多くの各種サーバーもパソコンが使用される。

・ソフトパッケージビジネス
 OSに対して、アプリケーションソフトが、パッケージビジネスとして、MainFraime時代から、定着しつつあったが、独占禁止法の関係もあり、パソコン時代では、さらにビジネスとして確立されていった。ブラウザ、メール、データベースソフトなど、多彩な選択肢がユーザーに提供されている。OSは、独立ベンダーに対して平等の接続容易性を提供している。

・周辺ビジネス
 主な周辺ビジネスとしては、磁気記憶装置とプリンタがある。技術進歩により、大容量化と低価格化が著しく、コンピューターの高性能化と、低価格化を支えている。寡占化した専業メーカーが市場を支配している。

・SEビジネス
 システム構築には、多くの選択肢があり、SEと呼ばれる専門職によるサービスが、提供されている。もとは、ハードウェア販売の販売促進手段であったものが、多彩で規模の大きい独立サービスとなっている(中小企業から大企業までの)。 事業主体は、ハードウェアベンダー系、ソフトウェアベンダー系、ユーザー系、独立系など多彩である。

・コンサルタント

 ユーザーの相談をビジネスにして、特定ベンダーに偏らない情報を提供をする。



平成28年5月

北村 拓郎


 



  新興国での発展 00000061 2016年05月12日 北村拓郎

 長らく、コンピューターは、欧米や、日本の先進国を中心に発展してきたが、最近では、韓国、中国、台湾、インドなどに、広がっている。

 為替レートの関係で、ITの製造基地として、利用され、最近では、消費地としても、大きなウェイトを増しつつある。これらの地域は、人口が多いので、いずれ、生産や消費は、欧米や、日本を上回ることとなろう。そのうちに、アフリカにも普及し、世界は均質化しよう。
 しばらくは、新しい研究開発や、新しい、使い方のもとは、欧米や、日本が、中心となろうが、新興国でも研究開発や、新しい需要が創出されるようになろう。

平成28年5月
北村 拓郎


 


  今後の展望 00000061 2016年05月12日 北村拓郎

 いまから、60〜70年前に、コンピューターなるものが出現して以来、大きな変貌を遂げた。コンピューターは、高価で、需要も少なかったので、データセンターを世界に5〜6箇所作れば、事足りるであろうと予想された。当時のデーターセンターの計算能力は、現在のパソコン1台にも劣るであろう。誰もが、現在のコンピュータの普及状況を予想しなかった。

 しばらくは、現在の延長線上の発展を遂げるであろうが、その先の、予想はあまりできない。コンピューターに限らない、多くの分野でいえることであろう。

平成28年5月

 北村 拓郎



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