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  ITと考えるということ(追記6) 00000034 2013年05月28日 北村拓郎

 人間はいろいろな場面で考えますが、考えるということは、あいまいで、どういうことをさしていうのか、はっきりといたしません。コンピューター(一般的に万能チューリングマシーン)は、人間が、合理的に考えることと同等の動作を(シミュレート)することができます。

 そこで、考えるとはコンピューターのプログラムが、働くことと同等であると定義してみましょう。コンピューターの働きにあいまいなことはありません。コンピュータは、いろいろな働きができますが、有限の時間と有限の記憶容量でのみ働くことができます。従って、非常に膨大な手数を要する問題、たとえば、大きな素数の素因数分解(現在電子化されている暗号解読の手法と関係)や、囲碁の最善手(必勝法)を求めることは、解が存在することがわかっていても、現状のコンピューターでは、正解は、わかりません。この種の問題は、世の中にたくさんあって、コンピュターの性能があがれば(時代と共に)、解ける問題もますます多くなります(スーパーコンピュータの性能があがれば、天気予報予報の精度があがり、車の設計性能が向上するなど)。いわば、この種の複雑な問題は、そのときの技術状況(人間の知識獲得状況)に応じて、解ける範囲が変わっていくといえます。

 一方、コンピュータが考えても、もともと解けない問題があります。すなわち、無限に動作させても解がわからない問題です。たとえば、物理的なある大きさの面積が、いくつの点からなっているのかを求めるということは、コンピュータではできません。数学的には、無限個の点であることになりますが、物理的な点とは、何であるかをはっきりさせる必要があるからです。点の大きさに物理的な大きさの限界があるかもしれませんし、大きさとはいえない、限界がないのかもしれません。コンピュターが考えることは、できませんが、物理学(実験と理論を備えた)が(人間が)わかることかもしれません。しかし、いったん知識としてわかれば、人間がコンピューターに教え込むことが、できます。
 
 永遠とか、全能の神の存在についても、コンピュターは、考えることは、できません。
神学や哲学の学説をコンピューターに教え込むことができるかもしれませんが、それ以上のものではありません。

 これらについては、考えてもわからない問題で、信じるとか、思うとかの領域のいわば、決断の問題です。もともと、人間(一般に生物)が生きていくとき、考える(脳細胞が合理的に動作する)ということが必要なのは、極々、一部の局面であるともいえそうです。しかし、その時々の状況に応じて塾慮は、最大限に、必要で、賢明なことです。IBMの創業者の強調したのが、think(考えろ)ということであったのもっともなことであったと思われます。

 平成25年6月

北村 拓郎



  道具としてのIT 00000034 2013年06月05日 北村拓郎

 コンピュータが考えるということは、一定の記憶状態に、所定の操作(推論規則など)を行って、結論に導くことです。人間の思考の場合も個人の知識、経験、さらには、人類の(世の中の)知識経験(一定の記憶状態)に、思考(推論規則や前提となる新しい情報の追加)を加えて、所定の結論に導きます(主張や、提言)。人間の思考とコンピュータの思考の違いは、前提となる新しい情報の追加の方法にあります。
 新しい情報の追加が、独創的な情報の選択のような場合は、独創的なアイディアに結びついたり、各人の経験と個性を反映いたします。コンピュータも類似のことを試すことができるようになるでしょうが、コンピュータの場合は、人間や、人間集団としての人類と違って、非常に限定されたものになります(大きな要素は、コンピュータは、外界との情報のやり取りが、限定されているからです。また、新しいプログラムの追加は、主に人間によって行われます)。このことは、コンピューターには、人間のような意思がなく、主体性がないということでもあります。コンピュータが、学習能力をもって、人間の意思に近いようなものを持ったとしても、人権が与えられることがない以上、人間を超えることはできないでしょう。これは、技術的な問題よりは、社会的な問題といえるでしょう。

 法人には、人権(たとえば、選挙権)は、与えられませんが、財産所有権のように、擬似人権ともいえるものが与えられます。遠い将来、コンピュータ(ハードと蓄積ソフト)に、似たような擬似人権が与えられることになるかもしれません。
 
 しかし、あらゆる分野において、CAT(Computer Aided Thinking)という技術の発展は考えられるでしょう。コンピュータを活用すれば、ほかの道具と同じように、人間の能力を補完して、人間と人類の知的な能力を広げる有力な手段となるでしょう。

 平成25年6月

 北村 拓郎
 


  ITと生きるということ 00000034 2013年06月05日 北村拓郎

 人間が生きるということは、いろいろな、情報との関連において、生きることになります。人間が考えるということは、脳神経の働きで考えるということでもあります。脳神経の働きとは、情報伝達と処理での働きです。
 生物としての人間は、遺伝子によって、個性が与えられ、個体として、人類としての特徴が与えられます。遺伝子は、このような情報を体現した媒体ともいえます。情報は、個体の中にとどまらず、自然界と社会に広がります。自然界には、気象や、景色、その他さまざまの情報があり、人間が、観測し影響を受けます。社会に広がる情報は、さまざまの個人情報、市場情報など多肢にわたります。人間は、このような情報空間のなかで、生まれ、成長し、世代を引き継いでいきます。ITや、コンピューターは、人間の道具のひとつに過ぎませんが、人間が考えることや、生きることと深く関わる道具であり、社会システムであります。情報と情報の関連性が、あまりにも、人間や人間社会に、あふれ、浸透していて、人間本来の主体性や、自由を阻害している局面も多く見受けられます。ITや、コンピューターが、このような阻害をますます助長することにも注意を払う必要があります。

 平成25年6月

 北村 拓郎
 


  塾慮と決断 00000034 2013年06月11日 北村拓郎

 塾慮とは、よく考えるということであります。考えるということは、一定の時間内に考えるということでもありますから、ITの活用などで、補完しても、そのときどきの状況で、考えきれない場合があります。また、知識や情報不足つまり、経験不足から、考えきれないこともあります。また、考えてわかることであるか、考えてもわからいないことであるかわからないこともあります。いろいろな、事情で、考えることを打ち切る必要が生じます。この事情は、個人だけではなく、特定の人間集団あるいは、人類全体の共同で考える場合であっても事情は同じです。そこで、人間が、行うのは、ある種の決断です。生きるということは、決断の連続であるといえます。一般に、これは、思うとか信じるという表現を伴います。これが、人と人との間では、よく話し合ったのちも、お互いの主張が、異なる見解の相違として、現われます。見解の相違は、人間同士あるいは、人間同士の争いの原因となります。たとえば、国と国との場合には戦争に発展する場合があります。

 一般に、考えることを打ち切ることには、いろいろな問題を伴います。打ち切るタイミングをはかるのが難しいことです。心理的に難しいこともあるでしょうし、結果的に、執拗にひとつの問題考えることが、よい結果をもたらす場合もあるでしょう。

 昨今の人類には、現代の化学兵器や大量破壊兵器による戦争を避ける塾慮が求められます。わかっているけど、やめられないであっては、ならないのです。この問題は、人類が徹底的に塾慮するタイミングでしょう。よく行われるのは、先延ばしにする方法です。しかし、この方法は、姑息で、将来に禍根を残します。

 平成25年6月

 北村 拓郎


  考える視点 00000034 2013年06月25日 北村拓郎

考えるときに、どのような視点で考えるのかが、重要になります。考えるためには、なにのために考えるのか、問題を認識して、得られる情報(知識、見聞、経験など)から、制定や、推論を加え、結論を導きます(どの程度システマッティックで、意識的かは別として)。

 このとき、考える視点や、立場が大切です。何が、前提になっているか、時間的な制約など。
視点や立場が違えば、結論も異なり、議論がかみ合いません。話し合いや、議論は、お互いの視点をはっきりさせることでもあります。

 ITの原理にかかわるゲーデルの不完全/完全定理や、チューリングマシーンの原理も、
視点の重要性を教えます。コンピュータは、いまのところ、視点や立場は人間に与えられるのみです。

 ここにいたり、人間が考えるのとコンピュータが考えるのとは、機能的な動作は似たようなものであったとしても、大きな違いがあります。人間が考えるのは、生きることの一環であるのに対し、コンピュータが考えるのは、人間の道具としての動作にすぎません。

 平成25年6月
 北村 拓郎


  脳と小腸 00000034 2013年06月26日 北村拓郎

 最近の生理学の見聞によると小腸は、情報の伝達と処理という点では、脳と同じかそれ以上に、複雑で巧妙な仕組みで、人体の司令塔の役割をしているといわれる。

 その違いは、個体としての個人の意識は、脳に関連してしているといえることでしょう。意識は、社会的な意識につながります。小腸の活動は、原則として、個人の範囲にとどまり、社会的な活動(人間と人間との関係)に拡大されることはありません。

平成25年6月

 北村 拓郎




  専門家と素人 00000034 2013年06月26日 北村拓郎

 専門家と素人では、専門領域において、知識と考える力において、雲泥の差のあるのが普通です。
 それでは、専門家と素人の区別をどのようにして、つけるのかは、難しい問題ですが、現代の分業の進んだ状況では、多くの場合、職業として区別することができるようです。

 その意味では、ほとんどの人が、素人であると同時に、何かの専門家であるといえます。

 専門家に必要な知識と考える力量は、時代の進展とともに変化しますが、専門家の力量には、個人的に大きな差が生じます。平均的な専門家の知識と力量は、コンピューターに教えられ、多くの仕事がITにとって換わられます。しかし、常に、それを超える仕事が、専門家に要求されます。一方では、コンピュータがとってかわれない部分が、残ります。

 この究極の姿において、専門家の力量は、生きる力(機械にはない)に集約されます。
しかしそのときには、お金を媒介とした、現代の経済的分業体制とは、ことなる姿が考えられます。この意味で、考える力が人間に近づくIT技術の人間社会に与える影響には、単なる生産効率の改善以上の大きなものがあるでしょう。人間性とははるかに遠い位置にあると思われているIT技術が、現代社会が必要とする人間性の回復に役立つかもしれないとという皮肉なことになるかもしれません。

平成25年6月
 北村 拓郎



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